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およそ殴り書き

ツイ-フェミニズム

巷ではツイフェミが話題である。
有名すぎて説明は要らないだろうが、フェミニズムは女権拡張論である。歴史において虐げられてきた女性の権利を拡張し、男性と同様の権利を獲得しよう、という現代社会においては当然に存在する主張である。これそのものに異論がある人間はあまりいないだろう。
しかしツイフェミに対して異論がない人間はあまりいないだろう。これも共通の認識と言っていいと思われるが、ツイフェミの云うフェミニズムとはツイ-フェミニズムであって真のフェミニズムではないからだ。
フェミニズムとは思想・運動・論であり、ツイ-フェミニズムとは感情の暴走である。というと理解がしやすいと思う。前提はここで終わり。


フェミニズムは優等劣等の意識だという意見がある。わたしは加害被害の意識だと思う。少なくともツイ-フェミニズムに関してはそう。私が不快に思ったから私は被害者で、不快にさせた集団は加害者であるという意識に基づいて声は挙げられる。この表現だと勝手に不快に感じた迷惑者が五月蝿いと受け取られるだろうが、加害者(とされた)側からしたらその通りである。しかし、声を挙げた人間に正当性があるかは慎重に吟味されなくてはならず、その結果完全に横暴であることはあまりないように思える。ある程度の正当性は常に認められる。しかし加害側は自らの加害性を認識できず、結果として炎上する。まるで加害側の頭が悪いから炎上するかのように書いたが、炎上の理由は双方同量にある。ここまで被害者と加害者で書いたが、実際には加害者ではなく加害者の行動によって得をする若しくは被害者の行動によって損をする者との対立構造であることが多い。最近の例を上げると、赤十字ポスター問題における被害者側は赤十字そのものではなく(勿論赤十字に声を挙げる人間もいたが)オタクに対して声を挙げた。それによりオタクとの論争で炎上したと言える。話は逸れるがオタクとツイフェミの争いはしばしば起こり、結構な頻度で大規模炎上する。理由は双方同レベルだからである。わけは後述する。

自分は被害者であるという感覚は万能である。被害者意識ほど持ちやすく、便利なものはない。一方加害者意識を自然に持つことは殆どない。男性が女性を性的消費する生まれながらの加害者である(相当悪意のある言い方)という意識は、女性ならば成長の過程で浮かぶことがあっても(数年前のラノベの表紙エロ過ぎ問題)男性が自然に浮かぶことは少ないのではないか。ここにどうしようもない対立がある。被害者の立場は当然被害者なので、加害者が態度を改めろといったものだし、加害者からするといきなりそんなこと言われても…といった感じであり、下手すると言いがかりはやめろにまで発展する。性的搾取問題の解決は程遠い。



医学科の女性差別問題がある。学校側の言い分も理解はできる。人手不足の時代に途中で消えるリスクのある人材は避けたいのは当然である。私立医学部医学科にとって入学試験は採用試験とほぼ同義であるからだ。だがしかし、性差によって職業選択の自由が侵害されることなどあってはならない。フェミニズムはそのためにある。性別に関係なく人間が一人でも自立し生きていける社会を作ることは現代において達成されなければならない事柄である。フェミニズムは個人の快不快を問題にするものではない。個人の快不快について声を挙げるなと言っているのではない。フェミニズムの名のもとにそれを行うなという一点のみだ。



先程の炎上の理由について述べねばならない。
端的に言って互いに互いの無知を馬鹿にし合っているからである。ツイフェミの論理は破綻していることが多い。感情でものを言うとしばしば人間はこうなる。オタクは自らの権利の侵害に殊更敏感である。公共の場でのゾーニングは常人なら当然のことであると理解できるが、それができないオタクが驚くことに一定数いる。権利を侵害された!と感じると何にでも噛み付く者同士の争いなので炎上は終わらないのだ。

おまけ
意見を持つことは素晴らしいことである。たまに意見も持たず論争を馬鹿にしてくる人間がいるが、彼等よりは愚かではないので自信を持って無視しよう。