更新

およそ殴り書き

自殺

昨日、正確には一昨日だがツイキャスで自殺配信があったとかで話題になった。わたしはそれを全く関係ないところで知ったのだが、自殺した人物は知っている人だった。

知っている人と表現したのは知り合いでも友達でもなくただの知っているだけの人だったからだ。詳細は省くがフォロワーのフォロワーみたいな感じだと思ってくれればよい。大した関係でもないくせに、この人が自殺したということに強くショックを受けた。

毎日誰かしら自殺で死んでいる。当然のことだが知っている人と知らない人が死ぬのでは個人に与える影響はかなり変わる。死を身近に感じるから、その人にもう会えないから、理由は山のようにあるだろう。人間は関係性の中で生きているので、関係ないものはその観点から存在しないに等しい。悲しいがそういうものなのだ。

死んだことに対して何故とかそんなことでショックを受けたのではなく、ただ死んじゃったのかとそれだけだった。それだけで、死を目の当たりにするだけで狼狽えてしまった。死とはそれだけのパワーがある。場合によってはわたしも決断をしなければならなくなるかもしれないのでそろそろ向き合わなければならない。

決断することはとても勇気が要ることである。時間、人生、様々なものを賭けなければならない。善悪は一先ず置いて、命という非常に重いものに対し決断をした彼女に敬意を払いたい。



これから決断に迫られる人が出てくるだろう。決断は人それぞれであり、わたしが口を出すようなことではないが、もし幸せになることが目標なのであれば生きるという選択も視野にくらいは入れてもよいのではないか。